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福岡FW薮田/スポッ人ライト

- 16日天皇杯、浦和戦で福岡FW薮田は浦和MF鈴木に倒される
福岡FW薮田光教(30)
突然の通告だった。11月30日。2日後に控えた今季リーグ最終戦に向け、練習を終えた。奈穂子夫人(26)との昼食。普段と変わらぬ1日になるはずだった。1本の電話が歯車を狂わせた。「後でクラブ本社に来てくれ」。選手会との申し合わせで、クラブが戦力外通告選手だけに意向を伝える期限日。覚悟して向かった本社で、プロ3度目の戦力外通告を受けた。
薮田 3度目のことだったので、言われたときは落ち着いていた。自分からサッカーを取り上げられたわけじゃないから。チームのために100%力を注いで支えてきたけど、チームがいらないと言えば…。
この時点で今季28試合に出場。FW、MFの兼用ながら、5得点はチーム得点王。故障続きに苦しんだチームを支えてきた自負があった。気丈な言葉とは裏腹に通告後には涙を浮かべ、本社を後にした。その日の夜、布団に入っても寝付けなかった。悔しさがこみ上げてきた。チームの一員として支えるものがなくなった。個人的には複雑な思いだった。それでも自分の気持ちを押し殺した。翌朝、普段通りにチーム練習に向かった。
薮田 (チームは)入れ替え戦への、最後のチャンスを残していた。1つの仕事を成し遂げたい、という思いで、うまく気持ちを切り替えることができた。篠田コーチには「ふがいないプレーをしたらメンバーから外してくれ」と言った。
J2に落としてチームを去れない。1試合でも多くこの仲間と戦いたい。思いが天に届いた。2日の最終戦。1度スタメンが発表されたMF古賀のアクシデントで、急きょ先発を託された。後半。自らのパスミスで先制点を献上。地獄に突き落とされかけたが、MF佐伯の同点ゴールに救われた。顔をくしゃくしゃにして佐伯に抱きついた。
薮田 アップのときからみんなが、気を使ってくれた。若い選手は言葉を掛けにくそうにしていたが、雰囲気で伝わった。ヴェルディ(V川崎=現東京V)は練習が終わったら、みんなバラバラ。福岡の選手はみんなで食事にいったり、いい仲間に恵まれました。
最終戦での引き分けで出場権をつかんだ入れ替え戦では古巣神戸と対戦。アウエーゴール差で負けたが、戦力外通告を受けたチームのために、異例ともいえる3試合を戦った。02年。左足腓骨(ひこつ)、脛骨(けいこつ)を骨折。半年間もプレーできなかった。サッカーができる喜びと仲間への感謝を胸に、福岡の選手として戦い抜いた。
読売ユース時代から、カズこと、FW三浦知良(横浜FC)の背中を目標にしてきた。カズが神戸から横浜FCに移籍するときに掛けられた言葉がある。
薮田 カズさんが監督になったとき、ヤブ(薮田)を選手として使う。でも、オレはまだ長く選手をやるかならな。そう、言われたんです。
今年39歳のカズは、まだピッチの上で戦い続けている。2人で交わした約束を実現するのは、まだ先の話。30歳の薮田は、先にスパイクを脱ぐ気はもちろんない。
薮田 福岡にきて、J1の舞台でまだまだできるという確信、やれるという自信を持ったし、もっと自分の力を磨かなければいけないとも思った。
福岡での選手生活は1年で終わった。だが、これまでのプロ生活では味わえなかった経験をビッシリとした。今年開幕前「40歳現役」を目標に掲げた薮田の挑戦は、新天地でまだまだ続いていくはずだ。【村田義治】
◆薮田光教(やぶた・みつのり)1976年(昭51)5月2日、神奈川・川崎市生まれ。小3でサッカーを始め、小6のときに読売ジュニアユースに加入。読売SCユースを経て、V川崎(現東京V、95~98年)-横浜FC(JFL、99年)-神戸(00~05年)でプレー。J1通算159試合出場15得点。U-19(アジアユース)U-20(ワールドユース)代表。175センチ、65キロ。
[2006年12月18日8時25分 紙面から]
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