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東福岡が亡き友への初V/高校ラグビー

初優勝を飾った東福岡フィフティーンは歓喜の表情でスタンドに向かう
初優勝を飾った東福岡フィフティーンは歓喜の表情でスタンドに向かう

<高校ラグビー:東福岡12-7伏見工>◇決勝◇7日◇花園

 東福岡(福岡)が悲願の優勝だ。伏見工(京都)を破り、4度目の決勝で初優勝を果たした。前半8分WTB正海智大(3年)のトライで先制を決めるなど前半を12-0で折り返した。1トライ差に迫られた後半15分すぎからの伏見工のゴールライン際の猛攻を守り抜き、初優勝を手にした。福岡県代表の優勝は福岡電波(現福岡工大城東)以来40大会ぶり。九州に優勝旗が持ち帰られるのは大分舞鶴以来33大会ぶりとなる。

 東福岡の緑の壁がゴールライン前に立ちはだかった。後半15分すぎからの伏見工の炎のような攻撃を全員で止めた。インゴールまでボールを持ち込まれても決してトライはさせなかった。ロスタイムは2分。時計が止まったような2分間を全員一丸で守り続けた。部員85人の心が一つになった。そして、ノーサイドのホイッスル。耐えて、守って過去3度はね返されてきた決勝の扉を、こじ開けた。

 前半8分にWTB正海がインゴールへけり込んだ球を自ら抑えて先制トライ。さらに16分にはSH中村がトライを挙げた。だが後半は完全な伏見工ペース。1トライ差に追い上げられた。東福岡は10分すぎから敵陣にすら入れず、ゴールライン際での攻防が続いた。昨年4月の選抜大会では認定トライで敗退。今回は反則はない。全員で守りきった。

 「16人で守っていたんだと思います」。谷崎監督の目にも涙が浮かんだ。昨年12月14日、フランカーの広木淳さん(享年18)が踏切事故で命を落とした。「通夜と葬儀に出た選手を見て、こいつらはどうなるのかと思いました」と谷崎監督は当時の様子を話す。一番の親友は主将の山下昂だった。小学生の頃から同じチームで育った仲間だ。亡くなった日も同じ電車に乗って帰宅していた。「広木がおらん。ランパスの先にいつもいた広木が目の前におらん」。母優子さんにポツリと漏らしたことがある。それでも主将として「広木のためじゃなくて、自分たちのために戦おう」とずっとチームを鼓舞してきた。

 170センチ、60キロとFWでは一番小柄な広木さんはチーム一のタックルの名手だった。広木さんの死後、タックルの練習をする選手の姿が目立った。「広木の穴を全員で埋めようとみんなで練習しました」とプロップ上滝は言う。花園では準決勝まで喪章も写真もなかった。一緒にプレーしているから、そんなものは必要なかった。決勝で初めて広木さんの写真をベンチに入れた。「広木と一緒に戦っていました」と山下昂は試合後、広木さんの写真を握りしめた。

 1年前に悔し涙を流した花園で喜びを爆発させた。試合中の雨はやみ、雲の切れ間に向かって日本一のフィフティーンは歓喜の声を上げた。【前田泰子】


 東福岡WTB正海智大(3年=前半8分、インゴールにけり込んだボールを自ら先制トライ)「相手がタックルしようとしてきて、ディフェンスラインの裏に誰もいないのが見えた。第1グラウンドはゴールラインの先が長いから、足の速さで勝負した。大舞台で日ごろのプレーをするのは難しいが、それができたのが花園での成長だと思う」


 ◆私立東福岡 1945年(昭和20)に前身の福岡米語義塾が創立し、55年に現校名となる。普通科のみの男子校で生徒数は2259人。ラグビー部は55年創部。花園は84年に初出場し18度目の出場となる。主なOBに村田亙(ヤマハ)、熊谷皇紀(NEC)ら。サッカー部も全国高校選手権で過去2度優勝し今年も8強入りした。鹿島MF本山雅志はサッカー部OB。横浜の村田修一、阪神の上園啓史、プロレスラーの佐々木健介らもOB。福岡市博多区東比恵2の24の1。松原功校長(51)。

[2008年1月8日8時41分 紙面から]

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