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ロッソ熊本J昇格、3位以内確定/JFL

試合終了後、サポーターに向かって手を振りJ2昇格を喜ぶロッソ熊本イレブン
試合終了後、サポーターに向かって手を振りJ2昇格を喜ぶロッソ熊本イレブン

<JFL:ロッソ熊本4-0FC琉球>◇11日◇沖縄県陸◇後期14節

 火の国・熊本にJクラブが誕生する。J準加盟のロッソ熊本が、FC琉球に快勝。J昇格条件の4位以内を満たす3位以上を確定させ、来季のJ2昇格を確実にした。早ければ20日のJリーグ理事会で正式承認され、九州4番目のJクラブが誕生する。04年12月の創設からチームをけん引してきた昇格請負人の池谷友良監督(45)に、クラブは来季続投を正式要請する。

 完封勝利のイレブンに拍手していた池谷監督の手が一瞬、止まった。ベンチのスタッフが両手で大きく輪をつくる。他会場の結果から、昇格条件の4位以内を確定させたことが分かると、選手全員と抱き合い、握手を交わした。「とにかく、責任が果たせてホッとしている。Jの舞台に立ちたいという思いを、選手と共有できた結果だと思う」。ピッチでは目頭を熱くしていた池谷監督だが、試合後の会見では喜びよりも安どを強調した。

 「08年にJ1昇格」を目標に04年12月にロッソ熊本は動き出したが、J昇格請負人の池谷監督は周囲とのギャップに戸惑った。「練習場がない。チームスタッフもいない。すべて一からのスタートだった」。自ら選手補強に走り、チームを指揮。現場を離れると営業のため自ら地元企業との交流の場に出向いた。

 2年目の昨年にJ準加盟を果たしたが、シーズン終盤に失速し5位。「戦力的には中位ぐらいだった。あまりにも(周囲の期待と)ギャップがあった」。チームにとって初めての挫折。サポーターからは監督の退陣を求める声も起こり、1度は身を引く覚悟もしたが「Jに上げる約束をして熊本に来た」。3年目。営業活動を封印して現場1本で勝負に徹し、J切符を手に入れた。

 熊本での監督業を家族が支えた。「Jでは何人も監督候補がいるコマの1つだったけど、地域リーグの監督は、クラブの存続までもが肩にかかってくる。孤独感を味わった」。そんな指揮官を「2LDKの狭い家で5人が布団を並べて寝た」(池谷監督)という洋子夫人(40)と3人の子供が支えてくれた。

 J昇格へ導いた池谷監督に「池谷監督は本当によくやってくれている」(前田浩文社長=67)と、クラブはあらためて来季続投を正式に打診する運び。「来年、Jでクラブがどうやって戦っていくか、ビジョンを聞いてみたい」。再びJのピッチでタクトを振るう池谷監督の下、ロッソ熊本の新しい歴史が始まる。

 ◆池谷友良(いけや・ともよし)1962年(昭ア37)6月17日、静岡県浜松市生まれ。静岡・浜名高から中大を経て85年、日本リーグ・日立製作所(現柏)入り。92年に現役引退後は、柏でヘッドコーチ、サテライトコーチなどを歴任。02年8~12月、04年1~7月は監督を務めた。04年11月に監督内定以来、ロッソ熊本に発足当初からかかわってきた。血液型O。

 ◆ロッソ熊本 1969年(昭44)に熊本電話局管内の同好会として発足した電電熊本(NTT九州、NTT西日本熊本、アルエット熊本と改称)が前身。04年末にJ入りを目指し、運営会社アスリートクラブ熊本が発足し、05年からロッソ熊本と名義変更して九州(Kyu)リーグに参加した。ロッソ(rosso)はイタリア語で「赤」。阿蘇山や熊本県人の熱い気性から「火の国」と表現される熊本の、燃える赤い情熱がチーム名に込められた。昨年8月にJ準加盟申請が承認された。クラブ所在地は熊本市水道町5の21の301。前田浩文社長。

 ロッソ熊本MF喜名(J5クラブを渡り歩き、故郷の沖縄で昇格確定)「これまで苦しい戦いだったが、自分たちを信じてきた。(両親、那覇西高時代の仲間が観戦する)この試合で決められて良かった」

 ロッソ熊本MF熊谷(主将として昇格を支え)「うちに集まった選手は全員、上を目指して、毎年、自分のため、熊本のためにサッカーをしてきた。その結果が出たと思う。(昇格を逃した)去年との違いは、崩れて負ける試合が少なくなり、自信をつけたこと」

[2007年11月12日8時24分 紙面から]

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