このページの先頭



ここから共通メニュー

共通メニュー


ホーム > 九州 > ニュース


九州メニュー

中西氏「仰木と待っててくれよ」

稲尾氏とともに西鉄ライオンズ黄金期を支えた中西太氏
稲尾氏とともに西鉄ライオンズ黄金期を支えた中西太氏

 サイちゃん、早すぎるよ。寂しいよ。オレを置いて行きやがって…。西鉄時代、野球をするのも遊ぶのもいつも3人一緒やったのに。仰木と同じ、70歳で逝ってしまったんやなあ。

 今朝5時に起きてテレビをつけたら、サイちゃんのニュースが目に飛び込んできた。入院したという話は聞いていたけど、まさか、こんなに早く別れの日が来るなんて思ってもみなかった。今日は「正力松太郎賞」の選考委員会があって、川上さんや杉下さんとサイちゃんの思い出話をしてきたよ。10年前にオレが手術を受けて以来、会うたびにオレの体を気遣ってくれたのに、そのサイちゃんが先にいなくなってしまった。

 56年にサイちゃんが西鉄に入団してきて、オレが寮の部屋長で仰木とサイちゃんの面倒を見ていた。オレが部屋で2人の頭の上で素振りをしても、ぐっすり寝てたなあ。私生活では何をやるにしてもゆっくりしてたから、サイちゃんなんてあだ名がついた。それでも野球は違っていた。

 三原のオヤジがチームの土台を作って、そろそろチームに軸がほしいと思っていたとき、まさにチームの心棒になってくれたのがサイちゃんだった。入団したばかりの新人で、なかなかレギュラー相手のフリー打撃に投げられる投手はいない。その打撃練習の登板で、サイちゃんはすぐに三原のオヤジの心をつかんだ。

 58年日本シリーズの3連敗後の4連投。シーズン最多42勝…。どれをとってもすごいけれど、天才じゃなかった。周囲のいろんなことを吸収する能力はすごかった。素直にまわりの声に耳を傾けて、自分の力になることをどんどん吸収していった。それに親御さんからもらった丈夫な体。オレもそうやけど、生まれたときに親に宝物をもらった。マウンドで投げる姿を後ろで見ながら、親父さんと伝馬船をこいでいた選手は違うなあと思っていた。「鉄腕伝説」を支えたのは、吸収能力と体だった。

 戦い続けて人生を終えた。若いときからどんな場でも堂々と自分の意見を言えたのは、戦い続けてきた自信があったからだね。マスターズリーグで会うのを、本当に楽しみにしていたんだ。仰木と一緒に待っててくれよ、サイちゃん。また会おうな、サイちゃん。(日刊スポーツ評論家)

[2007年11月14日8時56分 紙面から]

関連情報

最新ニュース

記事バックナンバー

社 会


このページの先頭へ