
2007年1月15日から3月22日まで、日刊スポーツ西部版(九州および山口県で発行)で「鉄腕人生 白球とともに」の連載を行った。稲尾和久氏のプロ野球生活50年を記念しての企画だった。
「鉄腕・稲尾」の野球人生は光と影という2つのコントラストを描く。文字通り馬車馬のように投げ続けた栄光の時代、そして肩を壊してからの挫折の時代…。通算276勝を挙げ、数々のタイトルを手にし「神様、仏様、稲尾様」と呼ばれた男にも、苦節の時は訪れた。現役引退後は監督、コーチなど指導者として苦労の連続ではあったが、球界に貢献し続けた。古稀を迎えた今年も熱い視線でグラウンドを見つめ続けている。また「人間稲尾」としても、球界のみならず各界に幅広い人脈を持つ。九州が生んだ不世出の大投手・稲尾和久の半生を「鉄腕人生 白球とともに」と題し、連載する。
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1937年6月10日、大分・別府市生まれ。別府緑ケ丘(現芸術緑丘)から56年に契約金50万円で西鉄ライオンズに入団。ルーキーイヤーの56年に21勝(6敗)、防御率1・06で新人王。56年から3年連続のチーム日本一に貢献。特に57年からは3年連続30勝以上の日本記録をマーク。58年巨人との日本シリーズでは3連敗後に4連投で4連勝。逆転日本一に輝き「神様、仏様、稲尾様」と呼ばれた。61年には78試合に登板、シーズン勝利の日本タイ記録となる42勝(14敗)を挙げた。入団から63年まで8年連続して20勝以上をマーク。主なタイトルは新人王、MVP2回、最多勝4回、最優秀防御率5回など。69年に現役引退。通算成績は276勝137敗、防御率1・98。70~74年西鉄、太平洋監督、78~80年中日投手コーチ、84~86年ロッテ監督を務めた。93年に野球殿堂入り。現在は日刊スポーツ評論家。180センチ、94キロ。右投げ右打ち、血液型B。
[稲尾和久公式サイト:鉄腕一代] http://tetsuwan-inao.com/