「黒い霧」一掃のため監督就任

- 69年10月8日、暴力団の野球賭博に絡んだ八百長行為が発覚し会見する西鉄・中西太監督(左)と国広直俊球団社長
◇69年秋に突然
プロ野球OBによる「マスターズリーグ」は今年1月で、発足から6シーズン目を終えた。札幌、東京、名古屋、大阪、福岡の5球団で組織され、プロ野球のオフシーズンとなる11月から翌年の1月までリーグ戦形式(計20試合)で熱戦が繰り広げられた。稲尾はマスターズリーグの発足から携わり、6季連続で福岡ドンタクズの監督を務めている。残念ながら、今年も稲尾の大きな体が選手たちの手で宙を舞うことはなかった。今季は名古屋が初優勝し、5チームの中で唯一、V経験がないのが稲尾率いる福岡だけとなってしまった。
「発足から6年目でやっと浸透してきた感じ。選手たちも開幕前にはきちんと動いてきているし、オールドファンを魅了しているんじゃないかな。プロ野球をリタイアした選手たちが、国元に帰って、それぞれの仕事をやりながら生活しているけど、そういう選手にとってもマスターズリーグに参加することは1つの大きな励みだと思う」。
今シーズンが終わったとき、稲尾はしみじみと話した。シーズン前には稲尾も「胴上げ」を夢見てスポーツジムに通い、体を絞る? のだが、悲願の初Vはまた今秋以降に持ち越しとなった。西鉄の大エースとして君臨してきた「鉄腕」にとって、V逸には毎年歯ぎしりしているようである。負けて悔しがらない指揮官はいない。稲尾も勝負師の本能は70歳になっても衰えることはないようだ。さてマスターズリーグでの「悲願達成」は来季の楽しみとしよう。だが、ドンタクズで苦節を続ける稲尾の姿は、現役引退後の指導者生活での苦難をついつい想起してしまう。
◇中西氏の辞任
69年シーズンで現役生活にピリオドを打った稲尾に「引退試合」のセレモニーはなかった。稲尾自身は翌年も現役を続行するつもりだったからだ。それが、シーズンオフに中西監督が突然の辞任。球団側の最後の頼みの綱は「鉄腕」しかいなかった。秋には球界を揺るがすことになった野球賭博に絡む、いわゆる「黒い霧事件」が発覚。炭鉱の閉山も相次ぎ、西鉄本社はモータリゼーションの大幅な変化も相まって経営は右肩下がりの状況に陥っていた。
「とにかく本社に来てくれ、監督やってくれだった。寝耳に水だよ。時代も景気が落ち込んでいるし、その中で西鉄ライオンズも凋落(ちょうらく)していく。かつての剛腕、鉄腕稲尾でお客さんを呼べるような状況じゃなかった。それに黒い霧事件が発覚した。戦う以前の問題だった。選手時代は経験したことのないことばかりだった。監督というのは勝つためにチームづくりをするのが仕事だけど、スタートからそれ以外のことばかり。とにかく正常な状態にすることだけは頑張ろうと思った」。
◇本社へも意見
監督就任は69年の11月。最大の就任条件は黒い霧の払しょくで「球団側に徹底的にクリーンにする姿勢があるか」だった。稲尾は監督を引き受けるに当たって本社の役員会にも出席し、そのことを訴えた。だが、シーズンオフから翌70年シーズンまでチームはどっぷりと「黒い霧」に包まれた。初タクトとなった70年は開幕間もない5月に前年秋の永易選手に続いて、与田、益田、池永の3選手が永久追放になった。
1年目は43勝78敗(9分け)、勝率3割5分5厘で6位。結局西鉄ライオンズを3年間率いて最下位から抜け出すことはできなかった。2年目は38勝84敗(8分け)。ライオンズ史上最悪の勝率を記録した。栄光の歴史を覆いつくした「黒い霧」は球団身売りという形で終幕を迎えることになってしまった。【佐竹英治】
◆黒い霧事件 1969年(昭44)10月、プロ野球選手の八百長事件関与の疑惑が浮上し、西鉄ライオンズの選手が関係していたことが発覚した。翌年5月、コミッショナー委員会の諮問会で、西鉄では池永投手ら4人が永久失格処分を受けた。スター選手と暴力団員との「黒い交際」が相次いで表面化。西鉄オーナー辞任など社会的事件に発展した。池永投手については西鉄OB会らが主導となって「復権会」が発足し、嘆願書提出や署名運動などの活動が行われ、05年4月に日本プロ野球組織(NPB)が処分を解除し、35年ぶりの復権を認めると発表した。