このページの先頭



ここから共通メニュー

共通メニュー


ホーム > 九州 > 稲尾特集 > 逆療法で鉄球投げたが・・・69年引退



逆療法で鉄球投げたが・・・69年引退

68年、64年に肩を壊し復活した稲尾和久(右)はこの年9勝を挙げ、中西太監督に迎えられる
68年、64年に肩を壊し復活した稲尾和久(右)はこの年9勝を挙げ、中西太監督に迎えられる
◇痛み消えた

 肩の痛みを残したまま、稲尾は65年を迎えた。杖立、指宿温泉でのリハビリの成果はあったが、肩の違和感は消えることはなかった。65年元日。稲尾はランニングに出かけた大濠公園で半年ぶりにボールを握りキャッチボールをしてみた。まだ、肩に引っ掛かりがあった。

 「前年の7月から全然投げていないし、まだ肩がピクッとした。ああ、やっぱりまだ違和感があるなあ、と思った。どうしたら治るのか。素人の考えることは恐ろしい。1週間くらいたって、知人に頼んでボールと同じ大きさで、ちゃんと縫い目の形もある鉄球を作ってもらった。ボールを投げて痛みがあるのなら、それ以上の痛みを与えれば、ボールを投げるくらいの痛さは気にならないのではないか、と思った。鉄球を投げて肩を悪くするかもしれないけど、何もしないで悪いままなら、やってみようと」。

 痛みを忘れるためにそれ以上の痛みを与える…。荒療治と言ってしまえばそれまでだが、何ともサディスティックな発想で再起に賭けた。出来上がった鉄球を5メートルほどの距離から投げてみた。あまりの痛さに涙が出た。自宅があったビルの駐車場にマットを置いて鉄球を投げ続けた。鉄球投球はキャンプに入っても続けた。痛みと格闘しながら、最後の望みとばかりに投げ続けた。

 「キャンプでも旅館の庭で毎晩投げた。その頃は10メートルくらいの距離を投げていたけど、それでも肩は痛い。そしたら、15日くらいだったかな。突然、痛みが消えたんだ。慌ててブルペンで捕手を座らせて投げてみた。痛くない。信じられない気持ちでボールを投げたよ。でもな、痛みはなぜか消えたんだけど、昔の球威はなかったな」。

◇球威戻らず

 栄光の8年間との決別を決意しリハビリに励んで7カ月。稲尾は復活の手応えを得た。復活勝利は6月5日の東映戦。8安打5失点の投球内容だったが約2年ぶりの白星を手にした。8年間で234勝を稼ぎ出した男が苦難の末につかんだ1勝だった。

 「1つ勝つということがこれだけ大変なことなのか、と思った。でも、復活勝利の記憶はないんだよな。1勝するまでに投げられたという思いの方が強かったから」。

 栄光と挫折。栄光だけの人間はいない。神様、仏様にも試練の日々があった。この年、稲尾は38試合に登板し、13勝6敗、防御率2・38の成績を残した。ちょうどプロ入り10年目。28歳のシーズンだった。翌66年は11勝10敗。防御率1・79で最後の勲章となる防御率タイトルを獲得した。復活から2年連続で2ケタ勝利を挙げたが、年とともに「鉄腕」の投球からはかけ離れていった。67年は8勝9敗、68年は9勝11敗。そして最後のシーズンとなった69年は1勝7敗の成績に終わった。肩を壊した64年から6年間で通算42勝に終わった。61年1シーズンで稼ぎ出した白星の数と同じである。

◇6年間42勝

 「オレの目標は300勝だった。肩を壊してからの6年間で挙げた42勝は日本記録の数字と同じ。結局は通算276勝で終わったんだが、300勝まで残り24勝…。オレの背番号と同じ数字なんだよな。これも何かの因縁かな」。

 プロ14年間で756試合3599イニングに登板し、276勝137敗。通算防御率1・98。恐るべき数字を残して鉄腕はグラブを置いた。【佐竹英治】



このページの先頭へ