プロポーズは「九州に来ないか」

- 06年11月23日、「野球人生50周年記念パーティー」で家族からプレゼントを受け取り笑顔を見せる稲尾和久氏。右端は律子夫人
◇スピード婚
タキシード姿でマイクの前に立った稲尾の後ろで、うつむき加減に着物姿の女性が見守っていた。昨年11月23日、稲尾の「プロ野球人生50周年パーティー」が福岡市内のホテルで盛大に行われた。会場には500人を超える人たちが詰め掛け「鉄腕」の半世紀にも及ぶプロ野球人生を祝福した。最後のあいさつで稲尾は「おかげ」という言葉を何度も何度も使った。「私を生んでくれた両親のおかげ」「野球のおかげ」「出会った人々のおかげ」。そして「妻のおかげ」…。稲尾の後ろで静かに耳を傾けていた女性は律子夫人である。今年で48年目の結婚生活となった。
◇無冠の60年
1960年(昭35)1月10日。稲尾は福岡で律子夫人と結婚式を挙げた。前年暮れに出会ってから1カ月足らずのスピード婚。稲尾のひと目ぼれだった。律子夫人は生まれも育ちも東京。知人に頼まれ、律子夫人の実家に届け物をしたのが出会いだった。
「翌日に福岡に戻るというときにデートというか、2人で浅草で落語を聴いたりして、三原さんのところにあいさつに行った。そのときはもう三原さんは大洋に行くのが決まっていたし、とにかくあいさつしようと思ってな。三原さんに『結婚しようと思います』と言ったら『早い方がいいぞ』と言われた」。
プロポーズも投球さながら“直球勝負”。東京をたつ前の晩に稲尾は「九州に来ないか」と言ったという。
だが、V奪回へ向けた新カップルの新婚生活は甘いものではなかった。60年シーズン、稲尾はプロ5年目にして最低の成績に終わる。20勝7敗、防御率2・59。入団以来、投手タイトルを獲得してきた鉄腕も無冠に終わった。ライバル杉浦の言葉に雪辱Vを誓ってはいたが、結局チームも優勝を逃してしまった。稲尾は6月にグラブをはめた左手親指に打球を受け突き指した。7月を終えた時点で5勝しか挙げられなかった。8(6勝)、9(6勝)、10月(3勝)の3カ月で15勝を稼いだものの、目指す30勝&優勝には遠く及ばず、無念のシーズンとなった。
◇「陰口に涙」
「結婚前に女房がマスコミからも追い掛け回されるし、とにかく早く結婚しようと1月に挙式したんだが、あの年は指のけがもあって勝てなかった。おれが勝てないと女房も外で『あれが稲尾の嫁だぞ』と、いろいろ陰口みたいなことを言われていたみたいだし、買い物にも行きたがらなくなった。家で涙ぐんでいることもあった。プロ野球の世界で生きるためには、そういうことも乗り切らなくちゃいけないんだけど、でも、かわいそうだった」。
この年、稲尾は初めてグラブを替えていた。アメリカにいた知人に頼んで米国製のグラブを取り寄せた。まだ日本には輸入されていなかったもので、日本製に比べて革がやわらかく手になじんでいた。だが、そのやわらかさが不幸にも突き指につながってしまった。結婚1年目、さらなる飛躍を誓ったが、逆に屈辱の年となった。新カップルにとっては何とも思い出したくない新婚1年目だろうが、この屈辱が稲尾にとって、翌61年に向けた最大の発奮材料となった。【佐竹英治】