新たな境地求め「取材活動」

- 58年10月21日、日本シリーズ第7戦 巨人対西鉄 3連敗から奇跡の4連勝で優勝し、喜び合う西鉄の左から豊田泰光、中西太、稲尾和久ら西鉄ナイン
◇3年間の経験
プロ1年目から稲尾の数字は登板試合61、68、72。勝利数は21、35、33。防御率1・06、1・37、1・42。新人王から始まって2年連続最多登板(57、58年)、最多勝(57、58年)、3年連続最優秀防御率(56、57、58年)のタイトルを手にした。そしてチーム3年連続日本一の原動力となり、最後は3連敗から4連勝の「奇跡」を生み出した。「神様、仏様」はもちろんのこと、この活躍ぶりは、もうオバケである。
3年数字を残して1人前といわれるプロの世界。稲尾は1人前どころか一騎当千の活躍で3シーズンを駆け抜けた。3年間の実績は稲尾にもはっきりとした自信を生んだ。
「3年目が終わったとき、10年はやれる。10年やろうと思った。キャンプ中にオヤジが死んではいたが、3年でダメだったら漁師になるという約束もあったし、これで本当に漁師にならなくていいと思った。3年間の経験はこれからの自分に生きると確信したし、これからもっと経験を生かさなければと強く考えた」。
◇「打者の心理」を読む
さらなる成長を誓い、投球の幅をもっと広げようと稲尾が考えたのが「打者の心理」を読むということだった。翌年の59年、4年目のキャンプで武器のスライダー、シュートにさらに磨きをかけると、オープン戦では「取材活動」に没頭した。
「これまでの3年間は、球威、コントロール、キレといった投球の技術的なことに無我夢中で取り組んだけど、それもある程度完成できたという自信があった。これからは技術的なものにプラスして過去3年間の反省を生かそうと。例えば、打たれた打者のイメージを思い出して自分の欠点をつぶしていこうと考えた」。
オープン戦では登板がなくても自軍ベンチで戦況をずっと見守った。もちろん、調整の場のエキシビション試合。勝ち負けは二の次だ。稲尾は味方打者の打撃を注視した。「今の球は何を狙っていたんですか? 」。特に中西、豊田という主砲に積極的に質問をぶつけた。
「例えば、チャンスの場面で打ったときとか、逆に打てなかったときに、豊田さんや中西さんらに聞くわけだ。どんな球を狙っていたのか、とかね。どういうふうに絞り球を考えていたのかとかね。もちろん、打席での気持ちとかも含めて聞いた。これは非常に参考になった。投手というのは打者と対戦するわけだし、その打者がどんな考えをもっているか、ということを知るのは絶対に役に立つ。4年目は打者について考えようと思っていたし、いろんなことをオープン戦中に聞いたことで、今度は逆に打者に打席の中で考えさせようと思った」。
史上初の2年連続30勝投手になった稲尾の4年目からの目標は月間5勝。シーズン中コンスタントにこの数字をクリアすれば半年のシーズンで30勝に到達する。59年、稲尾は有言実行した。30勝を挙げ3年連続の30勝以上をマークした。この記録も今後破られることはないであろう。【佐竹英治】