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20年後三原監督から思わぬ言葉

58年10月21日、日本シリーズ第7戦 巨人対西鉄 最高殊勲賞に輝いた西鉄稲尾は賞品の車に乗って写真に納まる
58年10月21日、日本シリーズ第7戦 巨人対西鉄 最高殊勲賞に輝いた西鉄稲尾は賞品の車に乗って写真に納まる
◇3番手で登板第5戦の采配

 栄光のフィナーレへと向かう前に少しばかりシリーズ中のエピソードを振り返ってみたい。稲尾のサヨナラ本塁打で勝利した第5戦のことである。これは後年、稲尾が病床の三原監督を見舞ったときに、言われたことだった。

 「ちょうどおれがロッテの監督になる前のことだったと思う。闘病生活に入っていた三原監督を見舞いにうかがったときのこと。三原さんが、よう来てくれたと言った後に、突然切り出したんだ。『稲尾くん、君に謝らなくてはいけないことがある。僕は監督としてやってはいかんことをやってしまった』と。え、何ですか? と尋ねたら、昭和33年(58年)の日本シリーズでのことを三原さんはこう言った。『監督は敗戦を前提に作戦を練ってはいけないんだ。僕はあの時、負けることを前提として君を投げさせた』と。おれは初め何のことかわからなかったんだが、そう言われて、ああ第5戦のことかと思った」。

 第5戦は、先発こそしなかったが、稲尾は3番手でマウンドに上がった。その時点で西鉄は0-3のビハインド。「負けるなら稲尾を投入して」の思いが三原監督の中にかすかにあったのだろう。それを知将はずっと心の中に引きずっていた。結果的には稲尾の起死回生のサヨナラ弾が飛び出して西鉄が勝利する。だが、知将の「監督哲学」には反した采配だったのであろう。

 「あれから20年以上も時間がたっていたのに、三原さんはずっと思い続けていたんだろうな。ロッテの監督になる前だったから、おれには、いいはなむけの言葉になった。三原さんと話したのはそれが最後だった気がする」。

58年の日本シリーズで3戦まで先発マスクをかぶっていた和田に代わって、4戦目から最終7戦目までベテランの日比野がマスクをかぶった
58年の日本シリーズで3戦まで先発マスクをかぶっていた和田に代わって、4戦目から最終7戦目までベテランの日比野がマスクをかぶった
◇和田捕手から日比谷捕手へ

 雨天順延があってからシリーズの行方は西鉄に傾いたが、グラウンドのマネジメントでも「流れ」はあった。3戦まで先発マスクをかぶっていた和田捕手に代わって、4戦目から最終7戦目までベテランの日比野捕手が扇の中心に座ったことだ。このシリーズ中盤から三原監督は捕手を入れ替えたのである。稲尾との「黄金バッテリー」と呼ばれた恋女房の和田捕手は4戦以降の戦いぶりについて振り返る。

 「4戦目から僕は先発マスクを外れた。それまでの配球は守りに入っていたような気がするんだよね。攻めるのもスライダー。守るのもスライダー。サイちゃん(稲尾)の一番いいシュートを使いきれなかった。4戦目からは日比野さんがマスクをかぶったんだけど、ベテランの老練さというのかな。僕にとっては反省させられ、勉強させられたシリーズだったね。うーん、捕手としては屈辱の思い出かな」。

 稲尾を取り巻く監督と恋女房…。複雑な思いを胸に秘めながらシリーズは「奇跡」のフィナーレへ結実していく。2勝3敗。再び敵地・後楽園に戻っても、またひとつ大きなドラマがあった。【佐竹英治】



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