夢枕で父がカツを入れた

- 58年、ベンチ前で記念写真に納まる西鉄の左から中西太、豊田泰光、稲尾和久
◇渇水の58年
1958年(昭33)は「異常」な年だった。球宴までに11ゲーム差をつけられていた南海をひっくり返し、西鉄が3連覇を達成したことも想定外ならば、福岡地方の気象も予想外だった。この年は5月下旬から連日30度を超える猛暑が続き、枯れ梅雨となった。県内の一部では田植えを放棄したところもあったほどで、7月には米軍の協力を得て人工降雨作戦も取られたほどだった。渇水により福岡市では時間給水も行われた。夏場には平和台球場前のお堀の水も干上がってしまった。
そんな渇き切った博多の町に、最高の潤いを与えたのはライオンズの優勝であり、稲尾の大活躍だった。シーズン72試合に登板し33勝10敗、防御率1・42。2年連続のリーグMVP&最多勝。3年連続の最優秀防御率のタイトルを手中にした。プロは3年連続で結果を出してこそ実力を認めてもらえると言われるが、稲尾の数字は文句のつけようがないどころか、驚異的、超人的としか表現のしようのない活躍ぶりだった。
◇連続で30勝
「親父(おやじ)から3年たってものにならんかったら帰ってこい、と言われていたけど、この年に2年連続で30勝(33勝)して、自分の中にしっかりとした自信ができた。それまではとにかく無我夢中で投げてきたけど、3年間、やれたという満足感と、これから先のプロ野球人生に大きな手応えを感じた年だった。よしこれから10年はやるぞ!と思った」。
文字通りひとり立ちした稲尾だったが、シーズン中には不思議な体験をしている。ちょうど地元平和台でのお盆シリーズの時だった。唐人町にある寮の4畳半の自室で寝ていたときのことだ。空が白み始めた朝方、稲尾の夢枕に父久作が立ったという。
「親父がおれの布団の横に座って、おれに説教しているんだよな。それを夢なのか現実なのか分からないが、おれが上の方から見ているんだ。親父が何を言っているのか分からないんだけど、とにかくおれに説教していることは分かった。そしておれが気が付くと窓の方へ白いものがスーッと消えたんだ。今でも夢なのか、現実なのか分からないけど、その時はゾーッとした」。
怪談話や幽霊話は大の苦手の稲尾は、大きな肩をすぼめながら話したが、正念場の戦いを前に父久作がカツを入れに来たのではと、今でも強く思っているようだ。
「それからおれは勝っているんだよなあ。親父が出たあ、と思ったときは、気持ちが悪かったけど、グラウンドでは調子が良かったよな」。
◇ペンダント
供養の気持ちもあったのだろう。稲尾は唐人町の商店街に出掛けロケット(ペンダント)を買った。久作の写真をそのペンダントに入れて首に下げた。「今考えても何でそんな心境になったのか分からないけどなあ。まあゲン担ぎの気持ちもあったのかなあ」。ペンダントをつけたのは人生初めての経験だった。後半戦はずっと父の写真を入れたペンダントを身に付けマウンドに上がった。そして奇跡の3連覇である…。【佐竹英治】