このページの先頭



ここから共通メニュー

共通メニュー


ホーム > 九州 > 稲尾特集 > 最後の親父孝行に家1軒



最後の親父孝行に家1軒

西鉄黄金バッテリーと言われた稲尾和久投手(左)と和田博実捕手
58年の新年を迎え優勝カップにビールを注ぎ新年を祝う稲尾(左)と和田博実捕手
◇20歳にして

 プロ2年目を終えた稲尾はジンクスどころか、ますます上昇気流に乗ってシーズンを終えた。最多勝(35勝)、最優秀防御率(1・37)、MVP、ベストナイン、シーズン20連勝…。日本シリーズでも最優秀投手に輝くなど急成長を見せ、タイトルラッシュの1年だった。チーム内でも文字通り堂々たるエースとなった。

◇衝撃の言葉

 プロ野球選手としてまさに順風満帆だった。目を見張るばかりの活躍ぶりに、稲尾の今後に栄光の航路が約束されていたと言っていい。まだ弱冠20歳である。だが、別府の少年が大またでスターダムにのし上がっているとき、稲尾にとって人生初の試練が訪れた。別府に凱旋(がいせん)したこの年のオフ。母カメノの言葉が胸を突き刺した。

 「オヤジはがんや」-。

 嫌な予感はあった。父久作は大の病院嫌いだった。若いころから病院にかかったことなどほとんどなかった。町相撲では横綱を張るほどの屈強さだったし、何より稲尾には強い親父(おやじ)のイメージしかなかった。「腹八分に医者いらず」が、久作の口癖だった。だが、漁に出る回数が減っていたことは家族から伝え聞いていた。家族は嫌がる久作を何度も説得して開業医に見せた。診断は末期の胃がんだった。

 「親父は絶対に病院など行かないと言っていたらしいが、釣り好きで仲の良かったお医者さんがいて、何とか親父を説得してそのお医者さんに診てもらったら、末期がんということだった。おふくろから親父の病気のことを知らされたときはショックだった。診断では、もう手遅れ、医者からは『親父さんの好きなようにさせなさい』と言われたそうだ」。

◇球団に借金

 強烈な光を放ち始めたプロ野球人生とは対照的に父久作の命の炎は光度を落とし始めた。「好きなことをさせなさい」。医者の言葉に稲尾は最後の親父孝行を誓った。久作の夢でもあった一戸建ての家をプレゼントすることだった。「ばあさんを日の当たるところに住ませてやりたい」。港横の漁師長屋から別府湾を見下ろせる丘陵部に稲尾は一戸建てを買った。資金などなかったが、球団の西社長(故人)に掛け合って借金した。オフの契約更改で年俸は300万円に跳ね上がった。だが、家代も300万円。年俸と同額の借金をお願いした。高額の借り入れを頼み込む稲尾に、初めは西社長もいぶかった。「何に使うのだ?」。しぶしぶ理由を口にした稲尾を西社長は一喝した。「ばかもん。なぜ、それを早く言わんか!」。借りたお金を手に1カ月ほどの間に一軒家を購入した。

 「親父のために家を建てるからと西社長に説明したら、怒られた。あの時はビックリしたなあ。おれの話を聞きながら西さんも涙をボロボロ流していた」。

 そう話す稲尾の目も少しばかり潤んだ。【佐竹英治】



このページの先頭へ