76日間で31戦登板し20連勝

- 57年、シーズン20連勝を飾った稲尾和久は、この年優勝を飾り笑顔で記念撮影に納まる(左から2人目)
◇今も日本記録
2年目のジンクスどころか稲尾はこの年、とんでもない記録を打ち立てた。今でも日本記録としてさんぜんと輝くシーズン20連勝である。
7月18日の大映戦で7安打完封勝利を飾り、13勝目を挙げると、それから10月1日の毎日戦まで負けなしの20連勝。その間31試合に登板、先発登板が14度、完投(完封含む)が10度である。稲尾の快記録がスタートする直前、この年の福岡は梅雨前線が停滞。九州・山口で水害が発生し、死者、行方不明者合わせて12人を出す被害に見舞われた。7月下旬には当時の岸信介首相が自衛隊機で九州西部の災害地を視察したほどの被害であったが、そんな暗いニュースも吹き飛ばすほどの活躍ぶりだった。
◇7月18日から
「20連勝? そのときはまったく意識していなかったよな。連勝記録を意識したのは14連勝してから。それまでまったく意識しなかった。記録についても14連勝の時、初めて知った。もしかしたら(日本記録に)追いつけるかなあ、という感じくらいだった」。
時を同じくして1シーズンの連勝記録を積み重ねていたのは毎日の小野正一投手だった。8月までに13連勝を記録。これがパ・リーグ記録となっていた。8月31日の近鉄戦に6安打1失点で完投勝ち、13連勝で肩を並べた。キーポイントとなったのは9月3日の毎日戦だった。先発でマウンドに上がり5回2死のところで三原監督から交代の指示が出た。一、二塁のピンチの場面で打席には苦手にしていた葛城が入った。三原監督の指示はベンチに下がるのでなく、一塁を守れ、だった。こんな場面を知将は想定していたのか、すでに2週間ほど前から稲尾にファーストミットを与え、練習をさせていた。緊急救援した若生投手がきっちり葛城を抑えると、再び6回から稲尾はマウンドに戻った。結局、稲尾は8回2/3を投げ“完投”。14勝目、リーグ新記録を更新したのである。
◇一塁も守った
「あのシーズンはペナントの戦いも楽勝だった。2位南海に7ゲーム差をつけて優勝しているし、途中にオレの連勝記録があったけど、そういう楽な展開だからこそできたのかもしれない。七十数日で20連勝を達成しているわけだけど、稲尾が負けていないなと思うと、使う方も使いづらい。リリーフで失敗すれば、連勝がストップするわけだし。20連勝しても『やった』という意識はなかったなあ」。
10月1日の毎日戦で8回2安打1失点投球で20連勝を達成。中1日で3日の毎日戦で救援登板し、3回5安打、2点を失って連勝はストップした。
「もう翌々日には黒星を喫してしまった。それも同じ毎日戦。喜びに浸る暇なく終わったという感じだったなあ」。
数字に無頓着なのか、稲尾のコメントは実にあっさりしたものである。【佐竹英治】