直球だけで35勝

- 稲尾は2年目のジンクスを吹き飛ばし進化を遂げる
◇天狗にならず
球界には今でも「2年目のジンクス」という言葉がある。ルーキーイヤーに活躍した選手ほど2年目に数字を残せないということだが、そっくりそのまま言葉が当てはまる選手もいれば、そうでない選手も確かにいる。ただ、新人の時の活躍が華々しかった選手ほど、2年目の出来を比較され「不出来」の烙印(らくいん)を押されることはある。
稲尾も意識した。
「1年目が終わった後のシーズンオフの時に、新聞に2年目に活躍できなかった選手たちというような特集記事があったんだよな。特にオレの1年目が終わった後に、そんな記事が多かったような気がする。で、そんな新聞記事を読むたびに『そういうことがあるんだ』と思った。1年目は何も分からず投げてきたけど、2年目は絶対に変な数字は残せないと思った」。
新人王、日本シリーズ制覇、それも大舞台で3勝を挙げ、胴上げ投手にもなったルーキー右腕。ピノキオか天狗(てんぐ)のように鼻が伸びてもおかしくはない。だが、19歳の稲尾は思った。
「毎晩、いろんなところでチヤホヤされ、いろいろとごちそうになった。周りからチヤホヤされることに自分自身『これでいいのだろうか』と批判的だった。だからオフは練習するしかないと思った」。
プロ野球界では投手は走ることが基本と言われる。稲尾は現役時代から「走らない男」と言われ続けてきたが、2年目を前にしたオフについては「1年目の21勝以上してやる、という気持ちだったし、しっかり走っていたわい」と、今でも口をとがらせる。
◇ジンクス一掃
事実、しっかり走ったのだろう。2年目のジンクスなど吹き飛ばした。1957年(昭32)の稲尾はさらに進化した。1年目よりも100イニング以上、多く投げ35勝6敗、防御率1・37の数字を残した。この年のタイトルは最多登板、最多勝、最優秀防御率、ベストナイン…に輝いている。ジンクスどころか、超飛躍のシーズンとなった。
それでも2年目に技術的な変化があったわけではない。相変わらず球種は1つ。ストレートだけであった。
◇1年目が財産
「2年目になって新しい球種を覚えようとはしなかった。ただ、1年目にいきなりリーグ優勝、そして日本シリーズで巨人を倒した、という事実が自分の中ではあまりにも大きな財産になったことは確か。オレたちは日本一なんだという意識が、おごりではなく自信としてしっかり芽生えたシーズンだった。だからこそ、2年目はへたな投球はできないと強く思った。今思えば、それが良かったんだと思う」。
ぶざまな姿は見せられない、その気持ちはとんでもない記録も打ち立ててしまった。【佐竹英治】