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先発4本柱の不調が鉄腕誕生の布石

56年10月9日、ベンチ前で記念写真に納まる西鉄の左から中西太、稲尾和久、豊田秦光
56年10月9日、ベンチ前で記念写真に納まる西鉄の左から中西太、稲尾和久、豊田泰光
◇先輩たちの不調

 プロ初勝利を挙げると、稲尾は順調に白星を重ねていった。勝つ投手は当然、首脳陣も信頼を寄せる。4本柱といわれていた川崎、大津、河村、西村の先輩たちが不調に苦しんだ穴を稲尾はしっかりと埋めた。先輩たちの不調はとりもなおさず「鉄腕」誕生の布石となった。

 1年目のシーズンを振り返るとき、稲尾はいつも運命的なものを感じずにはいられない。先輩4投手が好調であれば、自分の出る幕はなかったからである。それも前年のシーズンは川崎が17勝、大津21勝、河村21勝、西村19勝。4人で78勝を稼ぎ出している先発陣が足並みをそろえるように不調に陥ったのだ。「四天王不調」は、海が割れて道が開けるモーゼの十戒のような「鉄腕」誕生のプロローグだったように思えてしまう。

◇運命的な要素

 運命的な要素はまだある。稲尾が入団する2年前に西鉄ライオンズは初優勝を飾った。三原監督就任4年目の出来事である。若手へシフトするチーム改革が推し進められてもいた。打線は中西、豊田、仰木らの加入。次なる編成ポイントは投手力整備だ。55年には大幅な投手補強を行っているが、これといった選手は台頭していなかったのだ。そこに56年畑、西原、そして稲尾の入団…。

 「あの時に、西鉄が強力投手陣だったら、俺はそんなに投げていないだろうな。俺が入団する前から三原さんの構想通りに編成が進んでいたら、俺の出番はなかったんじゃないのかな、とも思う」。

◇稲尾の運

 稲尾が持つツキのようなものを三原監督もうすうす感じ始めていたようだ。「この男なら勝てる」と。後年、三原監督は稲尾に不思議な質問をしている。

 「あれは3年目(58年)の球宴後だったと思う。ある時、三原さんに呼ばれて『稲尾くん、君は普段どんな生活をしているのかね? 1週間の生活日誌を書いて持ってきなさい』と、言われた。どんな生活をしている? と聞かれてもこっちはピンと来ない。そしたら三原さんいわく『君が投げていると、負けている試合でも相手のエラーなどで勝つことが多い。どういう生活をしている者が運を持っているのか知りたくて』と言われた。しょうがないから1週間ぶんの日誌を出したよ。さすがに夜は門限を破ってますとは書かれないし、早朝の散歩もしたことがないのに、散歩が日課とかちょっとごまかして書いたけどね。三原さんは『運』というものの要素を究明しようと思っていたんじゃないかな。実際の采配でも技術、体力以外のもの、例えば気が乗っているとかそういうものに着目するところはあった」。

 稲尾が強運の持ち主かどうかは科学的には証明できないが、この年から3年間、西鉄ライオンズは栄光の歴史を球史に刻み込むことになる。【佐竹英治】



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