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佐賀北・百崎監督の指導が実る/連載…上

初優勝を決め、百崎監督を胴上げする佐賀北ナイン(撮影・加藤哉)
初優勝を決め、百崎監督を胴上げする佐賀北ナイン(撮影・加藤哉)

 公立校の普通の生徒が数々の強豪校を破って夏の甲子園で頂点に立った。佐賀県に13年ぶりに深紅の優勝旗をもたらした佐賀北。「佐賀北奇跡の全国制覇 真夏のがばい旋風」と題して、3回にわたり佐賀北の強さの秘密を紹介する。第1回は「甲子園で勝てるチーム」を目指してチームづくりをしてきた百崎敏克監督(51)。自身の野球歴は高校時代で終了したが、公立校という制約の多い環境の中で監督として夢の頂点をつかんだ。

 自然と涙があふれてきた。「信じられません。何が起こったのかよく分からない」。佐賀北の百崎監督は天を仰いだ。夢の頂点。昨夏の地方大会で初戦敗退してから1年後、甲子園優勝という夢を成し遂げた。

 いわゆる「野球エリート」ではない。佐賀北では主将を務めたが「ちょっと野球を離れるのもいいだろう」と大学進学時は推薦の話を断り国学院大へ。大学4年間は読書にのめりこみ、野球と距離を置いた。初任校の佐賀農芸で「野球部の監督をする人がいないから」と白羽の矢が立って監督業がスタート。自身の経験からか、選手には野球よりもまず生活態度から指導する。「野球はピラミッドの上の部分。それ以外ができなければダメです」。靴のそろえ方やあいさつの仕方など厳しく指導。定期考査1週間前は練習を休み勉強に集中させる。試験中も弁当持参で午後から勉強。野球から離れた選手は野球がしたくてたまらなくなる。「実はそれが狙いですけどね」。野球以外の生活でうまく野球への意欲を引き出した。宿舎でも毎日勉強会が開かれた。「普通校なら勉強は当たり前です」。甲子園期間中でも勉強会を開くなど、その姿勢は変えなかった。

 公立校の指導者として私立強豪校を倒すのは長年の悲願だった。「高校野球が趣味のような人」と吉富寿泰部長(41)は百崎監督を評する。練習試合では年上年下に関係なく対戦校の監督に教えを受ける。「県内の監督の中でも勝つことに対する執念はすごい」と前佐賀商監督の田中公士さん(66)も言う。「佐賀といえば佐賀商。それに並んで佐賀北と覚えられるようなチームをつくりたいと思っていました」(百崎監督)。帝京、長崎日大、広陵と全国区の私立強豪校を破って頂点に立った。「今までやってきたことは間違ってなかった。うれしいです」と言うと、いつもの穏やかな笑顔に戻った。【特別取材班】

 ◆百崎敏克(ももさき・としかつ)1956年(昭31)4月4日、佐賀市生まれ。佐賀北では中堅手で主将。国学院大進学後は野球はしなかった。80年に卒業後、佐賀農芸(現高志館)で監督を務め、92年、佐賀東の部長として甲子園初出場。神埼では監督として01年の春夏連続出場。佐賀北には04年に監督就任。国語科教諭。家族は妻と1男2女。

[2007年8月23日8時19分 紙面から]

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